03/17 神の声、その2
世界のボディビルディング選手権では
映画「ターミネーター」で有名な「アーノルドシュワルツネッガー」もまた, オリンピア初優勝をした、1969年、以来、連続して6連勝して有名になり、
「アイアンマン誌」や、いろいろな本で紹介されて有名になっています。
『アーノルドシュワルツネッガー」のパンピング・アイアン』というビデオは「ボディビル」を世界的な流行にして、同時にアーノルドが練習していた「ゴールドジム」を世界的に有名なジムにさせています。
「アーノルドシュワルツネッガー」は連続して6連勝という記録を作り上げ、1978年にはギネスブックに登録されているほどです。
その世界で有名な「ゴールドジム」が15年前に、厚木に できました。
実は、自宅で、トレーニングをしていたころ、私は、有名な「ゴールドジム」を見たさに、ハワイに行ったことがあるくらいです。
ですから、「ゴールドジム」が厚木にできた時には、狂喜しました。
厚木で「カイロプラクティック」を開業しながら、毎日、「ゴールドジム」に通ってトレーニングをしていたときですが
足のトレーニングで、「レッグプレス」というマシンがあります。
足トレは、通常、スクワットで行いますが、レッグプレスマシンの方がはるかに、負荷をかけらます。
58歳の時に、レッグプレスマシンで350Kg をやっていました、
その時です、
頭の上から、声がしたのです 「膝をロックするな!」 ????????・・・・・
ん、
神の声か??・・・ (内緒ですけど、実は、私、時々 「神の声」を聴くことがあるのです。結構、自分の頭をうたがっているのですけどね・・・)
レッグプレスのトレーニングを夢中でやっていた時、私にその「神の声」声が降ってきたのです
渋い声で「膝をロックするな!」 と、再び頭の上から『神の声』
頭をのけぞらして、頭の上を見ると
なんと!
その声の主は、かの有名な、小村選手ではないですか、
私の頭の中では当時、小村選手 はボディビルディングの『神様』です
錯覚ではなくて、やっぱり
「神の声」でした。
後で知ったのですが、小村選手は、引退後に、ゴールドジムのインストラクターをやっていて、
各地のゴールドジムでメインインストラクターを仕事にしているそうなのです。
映画「ターミネーター」で有名な「アーノルドシュワルツネッガー」もまた, オリンピア初優勝をした、1969年、以来、連続して6連勝して有名になり、
「アイアンマン誌」や、いろいろな本で紹介されて有名になっています。
『アーノルドシュワルツネッガー」のパンピング・アイアン』というビデオは「ボディビル」を世界的な流行にして、同時にアーノルドが練習していた「ゴールドジム」を世界的に有名なジムにさせています。
「アーノルドシュワルツネッガー」は連続して6連勝という記録を作り上げ、1978年にはギネスブックに登録されているほどです。
その世界で有名な「ゴールドジム」が15年前に、厚木に できました。
実は、自宅で、トレーニングをしていたころ、私は、有名な「ゴールドジム」を見たさに、ハワイに行ったことがあるくらいです。
ですから、「ゴールドジム」が厚木にできた時には、狂喜しました。
厚木で「カイロプラクティック」を開業しながら、毎日、「ゴールドジム」に通ってトレーニングをしていたときですが
足のトレーニングで、「レッグプレス」というマシンがあります。
足トレは、通常、スクワットで行いますが、レッグプレスマシンの方がはるかに、負荷をかけらます。
58歳の時に、レッグプレスマシンで350Kg をやっていました、
その時です、
頭の上から、声がしたのです 「膝をロックするな!」 ????????・・・・・
ん、
神の声か??・・・ (内緒ですけど、実は、私、時々 「神の声」を聴くことがあるのです。結構、自分の頭をうたがっているのですけどね・・・)
レッグプレスのトレーニングを夢中でやっていた時、私にその「神の声」声が降ってきたのです
渋い声で「膝をロックするな!」 と、再び頭の上から『神の声』
頭をのけぞらして、頭の上を見ると
なんと!
その声の主は、かの有名な、小村選手ではないですか、
私の頭の中では当時、小村選手 はボディビルディングの『神様』です
錯覚ではなくて、やっぱり
「神の声」でした。
後で知ったのですが、小村選手は、引退後に、ゴールドジムのインストラクターをやっていて、
各地のゴールドジムでメインインストラクターを仕事にしているそうなのです。
03/11 神の声
神の声
私は、20時から代のころから、筋トレをやっています。
20代の時には、まだ筋トレ=という言葉は無くて、単に、ボディビルと言っていました
そしてこの頃、「月刊ボディビルビルディング誌」という本が、毎月出ていたのですが
その「ボディビルディング誌」の中に、小村俊雄という名前が毎月出ていたのです
小村選手は日本ボディビルディング選手権の優勝者で、
1985年に一回、そして 1987〜 1999年までの 一位の優勝選手です
その月刊誌の中には、小村選手のボディビルテクニックや、食事法、サプリメントの情報などの
専門記事も載っていました
私は、自己流でやっていた、トレーニングをその記事を読みながら次第に本格化して励んでいたのです。
ですから、私にとって、小村選手はその当時の日本では、「トレーニングの神様」だったのです。
私は、20時から代のころから、筋トレをやっています。
20代の時には、まだ筋トレ=という言葉は無くて、単に、ボディビルと言っていました
そしてこの頃、「月刊ボディビルビルディング誌」という本が、毎月出ていたのですが
その「ボディビルディング誌」の中に、小村俊雄という名前が毎月出ていたのです
小村選手は日本ボディビルディング選手権の優勝者で、
1985年に一回、そして 1987〜 1999年までの 一位の優勝選手です
その月刊誌の中には、小村選手のボディビルテクニックや、食事法、サプリメントの情報などの
専門記事も載っていました
私は、自己流でやっていた、トレーニングをその記事を読みながら次第に本格化して励んでいたのです。
ですから、私にとって、小村選手はその当時の日本では、「トレーニングの神様」だったのです。